A reason why Samsung becomes Asia's rising-star?
It was around late 1980s when Toshiba had its peak, the unbelievable whispered rumors began.The rumor was, that some engineers traveled to visit foreign manufactures over the weekend and taught techniques to them.
Their destination was South Korea.
Their natural resources were poor as Japan.
Therefore, they put effort to raise and strengthen to high-tech industries.
( Source: NHK - Japan Broadcasting Corporation )
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東芝で耳を疑う噂がささやかれ 始めたのは絶頂期の
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80年代後半でした
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週末に一部の技術者が海外のメーカー に行き、技術を教えているという
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のです。
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向かう先は韓国でした
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日本と同じく資源の乏しい韓国 は国を挙げてハイテク産業の育成
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に力を入れていました
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財閥系の企業を筆頭に電機メーカー が相次いでDRAMの事業に参入
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わずか数年で生産を軌道に乗せる ことができた背景には
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日本からの技術流出がある、という 噂でした。
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東芝では急遽、対策がとられる ようになります。
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技術者を統括する技師長を務めて いた鈴木紘一さん、
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経営幹部から技術者のパスポート をチェックするよう命じられました。
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おっしゃるように日本の企業の 技術屋が狙われてですね
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実際に設計技術者がソウルに飛んで 技術を流出させた、という疑い
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が出てですね 東芝の技術者も個人個人がパスポート
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を持っていますから 国の出入りは必ず証拠が残ります
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からそのチェックがされたんですね
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86年、今度は事業本部長の川西 さんに韓国から接触があります
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東芝の国際担当の専務を通して 一度ソウルに来てほしい、という
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要請が入ったのです。
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川西さんの韓国訪問を強く求めて いたのはサムスン電子でした。
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日本を追いかけ、 DRAMの技術力を急速に高めて
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いた韓国の大手半導体メーカー でした。
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サムスンに行く目的がですね、 何のために行くのか、というの
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が もうひとつはっきりしなかった
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ので逡巡していたのですが、 いや、土曜日と日曜日ならいい
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だろ? とそこまで言われます とね
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まあ、土曜日に忙しいとも言えない、 日曜日に行けないとも言えない
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ものですから
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ソウルに降り立った川西さんを待っていた のは目を疑うようなVIP待遇
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でした サムスンの豪華な迎賓館に案内
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された川西さんは李会長以下 幹部総出の歓迎を受けます。
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女性たちによる伝統芸能の披露、 迎賓館の庭には
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東芝とサムスンの友情の証と称 する大きなガラスの置物まで用意
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されていました。
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とまどうばかりの川西さん、そこに サムスンから要望が出されます
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工場、半導体工場作っています から見てください、と。
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僕もこれちょっとあんまり見たく なかったんですが、
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見るとまたこっちの工場を見せ なきゃいけないかなと思ったもん
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ですから。 でも、まぁ断るのも大人気ない
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しってんで、 見ました。案の定ですね、その後、
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大分工場を見せろっていうこと になりまして、
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大分工場はもうしょうがないです から答礼としてお見せしました
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ソウルに招かれ建設中の工場を 見た見返りにと
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東芝は大分工場の見学を許可します 当時、最新鋭だった大分工場には
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装置の配置方法など さまざまな企業秘密が詰まって
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いました その後、サムスンは工場の生産
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ラインを統括する東芝の製造部長 をスカウト、
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大分工場と同じ作りの製造工場 を建設していきました
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韓国メーカーの追い上げが決定 的になったのは90年代の前半
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でした 日本のバブル経済が崩壊したの
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です 東芝は消費者の買い控えから家電製品
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が売れなくなり 公共事業も不振に陥りました
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その結果思うように半導体の投資 ができなくなります
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副社長になり会社全体を考える 立場になった川西さん、
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W作戦を始めた時期とは状況が違う ことを痛感せざるをえませんでした。
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半導体、たとえばメモリーの場合 は先行投資ですから
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もう、明日、お金が返ってくる という話ではない、
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3年先とか2年先に返ってくる そうするとそれを銀行はどう見る
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か、というとリスクと見る。 リスクと見たら、リスクのもっと
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ないものしか探さない だから製造業は、これは日本に
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とってはリスクのかたまりです
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半導体への投資は圧縮され、 長期まで見通した研究開発の余裕
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が失われてゆきます
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研究開発部門では5年以上先を見 越して開発に当たってきた技術者
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が 配置転換の対象となり、その数
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は93年までに200人にもなりました
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環境の急激な変化に会社を去る 技術者も現れはじめます
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東芝を去って海を渡る技術者も あらわれました。
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どうぞお入りください ありがとうございます
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この技術者が転職したのは東芝 が警戒していた韓国のサムスン電子
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でした。 90年代、サムスンは日本のバブル崩壊
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を尻目に 莫大な投資を続けていました。
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最新の設備で生産効率を高める 一方で
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積極的に押し進めていたのが日本 からの技術移転です
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スカウトした日本人技術者の数 は70人を超えていました
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「これが私が行ってた当時の外国人 技術者の、
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つまり顧問ですね、人たちの名簿 なんですけど
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非常勤も入れると77名ですね、
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「顧問」と呼ばれていた日本人 技術者のリスト
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家電、オーディオ、半導体など 様々な部署で
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日本のメーカーで培ったノウハウ を韓国人技術者に
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伝授していました
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えーとね、報酬は日本で貰って た額の3倍ぐらいですかね
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3倍ですか?
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報酬以外も充実していました 日本流にいえばマンションに相当
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するようなアパートですけども
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住まいは4LDKのマンション、 さらに秘書、高級自動車、運転手、
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食事の世話係もつきました
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その上でサムスンは顧問一人ひとり に技術移転に関わる
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業務を割り振っていきました 日本のメーカーの開発体制や、
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使っている製造装置の調査、 人事情報をもとにした最新の組織図
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の作成まで幅広いものでした
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東芝出身の顧問にはフラッシュメモリー の技術を移転する
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仕事が与えられました 資金がなくて困っている東芝に
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共同開発を提案し 技術を入手したい、という内容
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でした
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裏の情報としては少し聞いてい ましたけどね
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お金?
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ええ、だから鈴木紘一さんが事業 部長の時だったんですけども
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技術を売ってお金になるならお金 がほしい、というような時だった
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と思いますね
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顧問は東芝に出向き経営幹部に 共同開発を持ちかけました。
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フラッシュメモリーが利益に結び ついていなかった東芝は提案を
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歓迎します
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運転資金は助けていただけるから こりゃ助かるな、という
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まあ、こういう感じだったですね
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敵に塩を送るようなことにならない ですか?
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そういう敵に塩を送るというよりも、 当時のなんですかね、NAND
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フラッシュを作ろうという人たちの 熱き思いは
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確かに自分でできる、自分でできた 技術を渡すな、という声と同時に
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仲間を増やしたい、と。これは ですね、
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仲間を増やして供給力を上げないと 市民権を得ないんですよ
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それまで単独でフラッシュメモリー を生産していた東芝は
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共同開発によって製造装置や原料 の価格が下がることを期待しました
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さらに複数で生産すれば一社への 依存を恐れていた
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企業も購入をはじめ、一気に販売 先が広がる読みもありました
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東芝にサムスンの提案に同意、 社内で培ってきたノウハウを手渡し
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特許料を得ていきます
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東芝の期待通り、共同開発によって フラッシュメモリーの価格は下がり
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販売先も拡大しました。 東芝は一時、サムスンの1.7倍の
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売上げを達成。 しかしその後、投資力にまさる
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サムスンが生産体制を急拡大し、 シェアを逆転してゆきました
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自分が先端を行ってたから 自分が読みが正しければサムスン
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の読みなんて、というふうにと思 ってた
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油断してました?
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うん、そうですね。まあ、それを NANDフラッシュを、
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世界の中でNANDに目をつけた サムスンも偉い、ということだ
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と思いますけど
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93年以降、東芝は記憶用半導体 の生産量でサムスンに抜かれ
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世界一の座を明け渡します。
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更に東芝の苦境を深めたのが主力 製品だったDRAMの価格の急
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落でした 1メガDRAMを発展させた16
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DRAMの価格は韓国や台湾メーカー の参入で
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およそ25分の1に激減しました
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その後、性能を上げた新製品を 投入しても価格は
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すぐに下がり、生産コストが高い 日本は不利になってゆきます。
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2001年、東芝のDRAMは価格が コストを下回り、
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大規模な赤字に陥ります。 そしてついに経営の決断が下されました
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汎用DRAMの生産および販売 を2002年の7月末をめどに収束を
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いたします W作戦から19年、DRAM事業
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からの事実上の撤退宣言でした
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